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Fri 2008 | トラックバック(-) |
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山の斜面と細い路地との間を縫うように民家が密集しているその一帯にあって、不自然な形で耕作地が姿を見せた。もちろん想像の域は出ないのだが、以前そこに宅地があったことは想像に難くない。
船上から眺める男木島の印象は、山の斜面に密集して民家が建ち並んでいる、見るからに坂道の多そうな島であった。降り立つ前から胸が躍る。
男木島にはたくさんのネコがいる。実際、その姿も相当数確認した。甲板などに現れるネズミの駆除のため連れてこられたネコたちは、海のオトコたちと共に陸に立ち、その後ここに住み着いたのだろう。日陰でスヤスヤと昼寝をするネコや錆びついてガラクタと化してしまった三輪自転車など、随所に見受けられる昭和、もしくはそれ以前の匂いがフワリと漂っている。こんな空気が好きだ。
半時間ほどの散策をした後だろうか。急勾配の坂道から風情ある集落と行き交う船を眼下に眺めながら、少し休憩のできる場所を探していた。そしてその場所となったのが、この、瀬戸内の眺望を贅沢に味わえる坂道である。
かつてこの地には、南海平野線西平野駅があった。その跡地は現在、鉄道公園として整備されている。歩道にはレールを模した敷石がなされ、ベンチの壁石には「なんかいでんしゃ ひらの みち」とあり、同時に平野線の路線図が描かれている。
大阪市営地下鉄谷町線天王寺〜八尾南間の開通(延伸)に伴い廃線となった、南海電鉄平野線。現在、その軌跡の一部と同線の発着駅であった旧平野駅が遊歩道として整備されている。信号機、レールを模したレンガ敷きの意匠、当時使用されていた車止めレールなどが往時を偲ばせる。
30年以上も昔の話。かつてこの一帯には、集中豪雨による鉄橋の流失が原因となり廃線に追い込まれた、陶磁器運搬を主たる目的とする鉄道路線があった。資料には1922年(大正11年)開業とある(※1)。開業から廃線に至る1974年(昭和49年)までの約50年(※2)もの間、陶磁器すなわち美濃焼と人々を運ぶ重要な交通手段となっていた。現在、その路線跡が遊歩道として整備されている。無論、廃線から幾年も経過しているため、残念ながら、軌跡の面影を留めるものは皆無となっている。
「美濃焼の産地」が表向きの、名の知れた肩書きだとすれば、さしずめ「路地と坂道の町」とは裏の肩書きとなるのだろうか。否か。
